WORKインタビュー/中村玲奈さん
(前編)
「違和感に向き合えば自分らしいキャリアを築いていける」
さまざまなジャンルで活躍する女性に、ライフステージの変化が及ぼす仕事への影響やコントロールの方法、心身の悩みとの向き合い方について伺うWRAY・WORKインタビュー。第2回目は、シンガポールでベンチャーキャピタルを経営する中村玲奈さんにお話を伺います。
【前編】では、中村さんが今の仕事に辿りつくまでの道のりにフィーチャー。“なんとなく仕事をしない”。都度生じる違和感に向き合うことで、中村さんらしい道を切り拓いていきました。
業界の型にはまらずに、“得意”を生かして働く
“手触り感”のある仕事がしたい
―現在シンガポールを拠点に働く中村さん。これまでのキャリアについて教えてください。
大学卒業後に、戦略コンサルティング・投資会社に入社しました。同社は当時から日本で東南アジアやベトナムなどの成長市場に投資するファンドも運用していて、成長市場の投資に関わりたかった自分には合っていると思って。その後、入社1年くらいで同社のシンガポールオフィスに異動し、3年ほどシンガポールに駐在しました。
3年の間にシンガポールでの繋がりもでき、その後現地で働くことも検討したのですが、当時の私の経歴ではなかなか思うようなポジションにはたどり着けなくて。仕事以外の都合もあり、一旦は諦め帰国しました。
帰国後は米投資銀行のM&A部門に就職し、しばらく腰を据えようと思っていた矢先に、シンガポールで付き合いのあったファンドから誘われ、「行きます」と即答しました。
ーシンガポールに戻ってからは、どのようなお仕事をされていたのですか?
主にスタートアップへの出資に関わっていました。そこから出会いやタイミングが重なり、自分でファンドを立ち上げることになったんです。シンガポールを拠点に世界のファッションや小売り関係の会社に投資するベンチャーキャピタルファンドです。
―出資先をファッション・小売り関係に特化しようと思ったのはなぜですか?
余白や白地がまだまだ残っている市場だと思ったからです。2015年にシンガポールへ戻る間に4ヵ月ほど休暇を取ったのですが、その間にニューヨークのアパレルブランドに関わる機会がありました。当時大好きだったサステナブルラグジュアリーのブランドで、そこの日本進出のコンサルティングに携わることになって。依頼されたわけではなく、「ボランティアでもいいからやりたいです!」と本国の株主に直談判して始めた案件だったのですが(笑)。
けれど、ファッション業界のことはさっぱりで、多角的に調べていたんですね。その中で気づいたのは、ファッション業界はすごく規模が大きく絶対になくならない商材なのに、業界慣習的にかなりアナログで非効率なことが多く、デジタル関係はまったく進んでいないという現状でした。今でこそ日本でもeコマースが浸透していますが、当時はZOZOTOWNくらい。テクノロジーで変えていく余地がまだまだ残っている大きな市場というのは、すごく面白いと思いました。
―コロナ禍を経て、アパレル業界はとくに厳しい状況だと思いますが、これからまだまだ発展する可能性のある面白い市場でもあるのですね。
そうですね。eコマースを進化させなきゃいけない、店舗のあり方を考えなきゃいけないなどの課題が迫っていることもあり、“ファッションテック”はホットなトピックです。大きなマーケットでありながらプロセスに無駄が多く、改善の余地が大きくあるという業界内のギャップを埋めていきつつ、効率だけではなくサスティナビリティという課題にも取り組みたい。ファッション業界は、環境汚染や無駄なものを廃棄する業界としてはトップ3に入るくらいのネガティブインパクトがありますが、それを改善するテクノロジーの支援もしていきたいですね。
―そもそも中村さんは、なぜ投資ファンド業界を選ばれたのですか?
正直、就職活動直前まで「深く考える」ということをしていませんでした…。「国際協力」や「サスティナビリティ問題」には学生時代から関心を持っていたのですが、最初の就職先としてどこで何をやったらいいのか?まで考えは至らず、気がつけば周りにコンサルティング会社や投資銀行を目指す人が多かった流れで見ていたというか。
けれど私は、手触り感のないことがあまり好きではなくて、例えば、経営コンサルやアドバイスをして終わってしまう仕事は自分がやりたいことではないなと、やってみて気づいたんです。それよりも資本を自分で持ち投資をすることで意志決定をできる手札にもなり、実際に事業運営にまで関れる、ぐっと踏み込んで温度を感じることをやってみたかったのだと思います。
それに投資経験や事業運営を理解できれば、当時興味を持っていた「国際協力」や「サスティナビリティ問題」にもより大きなスケールで関われるかもしれない、と。でも、当時はここまで整理できていませんでしたよ。今思い返せば、です(笑)。
これを得意にすると“決めて”しまえば強みになる
―それから長くこの業界にいらっしゃいますが、キャリアに悩まれたことはありますか?
キャリアについては何度かありますね。日本でこの業界に新卒で入社した場合のその後のキャリアは、MBAへ行くかファンドに転職するかという定型パターンしかほぼなかったですし、うまくキャリアをつくるためにはこれが必要だよね、というようにその手段すらもテンプレ化されていると感じていました。評価される人間のパターンが画一化しているというか。それに違和感を持っていたし、自分は正直その軸で見た時に特別優れているわけでもないうえ、仮にそのまま進んだところで待っている未来がさほど自分が欲しいものではないなとも思ってしまって。そんな時にシンガポールで仕事をする機会をもらったことで、自分の中での方針転換ができました。
―どのように変えていったのでしょうか。
シンガポールでは、個人で投資をする人、起業家、アドバイザーなど、とにかくいろんな働き方をする人に出会いました。であれば、自分が本当に得意なことややりたいことを軸に仕事をできるポジションや職種があるはずだと思い、頭の中で方針転換をしたんです。
自分は時間も場所もフレキシブルである仕事ならよりパフォーマンスを発揮できるし、投資は得意なことだし、日本企業に繋がりがあることが当時はバリューだったので、これを全部つなぎ合わせたとしたらシンガポールの独立系ベンチャーキャピタルは、まさに私のポジションだと確信が持てたんです。自分の強みに特化した道があるはず、と探り続けました。
―業界の型にはまらずに、自分の得意なことを生かせる場所や職種を探していったのですね。とはいえ、ハードなお仕事だろうと思います。
たしかにそうかもしれません。2年ほど前、あまりの仕事量に疲弊してしまって、金曜の夜に「明日からトルコに行こう!」と思い立ち、翌日飛び立ったことがあるんです(笑)。2週間トルコに滞在する間に普段の生活から離れて人生をじっくり考えてみたのですが、もし今いくらでもリソースも時間もお金もあって何がしたいかと聞かれたら、意外にも今と同じ仕事を選ぶだろうなと思ったんですよね。これからもこの仕事を続けたいなと思っています。
―どんなところがご自身にフィットしているのだと思いますか?
自分が意味があると思うアイディアやサスティナビリティに関するテクノロジーや世の中にインパクトをもたらしている会社を、キャリアの中でできる限り数多くお手伝いできることがいいなと思っていて。0から1を生み出すビルダーではなく、ネットワークや資本や知識でもって、共感できるアイディアに取り組んでいる起業家をサポートすることが、自分の人生観と関心には合っていると感じています。
―自分の強みや特技を自分では自覚することが難しいとも感じるのですが、中村さんはどのようにして見つけていきましたか?
私も後から気づいたのですが、これはきっと「決め」の問題なのだと思います。これを自分の強みにする、これを自分の興味にするって、決めてしまう。自分の興味って何?私の強みって?と自己分析をしてみても、はっきりとはわからないんですよね。
でも、5年でも同じことを続けていたら、それは強みというか得意領域になると思うんですよ。どこかのポイントで“これにする!”と決めて、「得意なこと」として進んでしまう方が結果的にうまくいく。しかも自分にしかできない仕事だと気づけたりもするので自信にもなります。
たどり着きたい未来のためにキャリアをデザインしていい
―就職までの道のりが流れだったとはいえ、そこから興味関心へ向かう行動力が素晴らしいですよね。中村さんの、その行動力はどこからきているのでしょうか。
私、興味があることとないことへの差が激しいんです…なんとなくやれと言われてやることができないタイプで。だから新卒で入社したときは、すごく扱いにくい人間だったと思います(笑)。仕事として何がしたいかよりも、「何に時間をかけたいだろう」「何が大事なんだろう」「生きている意味って何だろう」という問いをし続けていましたね。3か月ごとに、“自分の人生って?”を振り返ったりもして。意識高い系だね、と言われてしまうこともあるのですが、私の中ではそうじゃないんです。単純に、「なんで今私はこれをやっているんだろう」ということが腑に落ちないと何もできなくなっちゃうんですよね。結局やる気がなくなって、漫画読んだりしちゃうんです(笑)。絶対にこうしたいという納得が、行動につながっているのだとは思います。
―日本で働いていたときに、それを貫くのはなかなか大変ではなかったですか?
大変でしたね。当時は長時間の労働に無条件に耐えることもあったりと、日本の働き方は“我慢”が多いな、と感じていました。それで、他の国はどうなのかということも知りたくて、シンガポールへ行ったのもあるんです。実際にシンガポールでいろいろな人種、職業の人に会って思ったのは、自分がたどり着きたい人生に向けてキャリアをデザインしていいんだ、ということでした。
今は場所に関係なくどこからでも働ける環境や時間の自由が確保できること、1週間の5/7を意味があると信じているインパクトの創出に使えること、私自身も40歳以降に思い描く人生があるので、自分が投入する時間に対する大きなリターンが見込めることは、私にとってはとても大切で。幸いこの仕事はノートパソコンひとつあればできる業種ですしチームメンバーもグローバルなので、ますますリモート設計を進める予定です。
―働く「場所」もそうですが、「時間」の使い方で意識していることはありますか?
リフレッシュの時間を含めて、稼働時間は大体朝8時半から夜7時までと決めています。漫然的に働いていたらやっぱり効率が下がってしまうし、どこかで“この時間は働かない”と決めて切り替えをしないと長くは走れません。“ずっと働き続けないこと”を心がけています。
あとは自然に触れること。月に数回ハイキングに行ってリフレッシュしています。働き方も時間の使い方も、根性論より脳の赴く方へ合わせていくべきなのだと、最近考えています。
Text/Sonoko Fujii
中村 玲奈
慶應義塾大学卒業後、2010年にコンサルティング・ベンチャー投資事業を行う「Dream Incubator」に入社。同社のシンガーポールオフィス、米投資銀行の「Lazard」を経て、シンガポールのベンチャーキャピタル「Cento Ventures」に参画。現在はシンガポールを拠点に、ファッション・リテール関係のテクノロジーに特化したベンチャーキャピタル「Lyra Ventures(ライラベンチャーズ)」を立ち上げ、欧州・イスラエル・北米を中心にアーリーステージ投資に従事している。
https://www.lyra-ventures.com/